みなさんは「いじり」と「いじめ」の違いについて考えたことはありますか?
今回はそんないじりといじめの違いについて考えていきたいと思います。
いじりとは何か?
まずはいじりとは何かについて考えていきます。
笑いを取るための手段
いじりといえば、「笑いを取るための手段」であるという認識です。
テレビであったり、学校や会社でもいじりという行為は起きているでしょう。
笑いを取るために相手の弱点やコンプレックスをいじって、悪くいえば少し小ばかにした言い方を
することで笑いを取ろう、または話題にしようとした経験ありませんか?
笑いや楽しい雰囲気を作るために「いじり」があるということがいえるでしょう。
コミュニケーションの一つの方法
2つ目は、「コミュニケーションの一つの方法」ということです。
いじってもらうことで、コミュニケーションを取るまたは
誰かをいじることでコミュニケーションを継続させるということです。
例えば、会社の飲み会とかで上司とかを盛り上げたいと考えたときに自分の話や仕事の話だけでは
盛り上がりに欠けてしまうこともあるでしょう。
そういったときに同期のいじってみたり、自虐的に自分をいじってみたりすることがあるでしょう。
いじりというのはコミュニケーションをするための方法といえるのではないでしょうか。
キャラクターを作り出す手段
最後は「キャラクターを作り出す手段」としていじりがあるということです。
簡単にいえば、いじられキャラというやつです。自分からなることもあれば、
周囲をいじられキャラに確立させてしまうこともあるでしょう。
いじられキャラの良し悪しをここでは言及しませんが、
キャラとしてどんな人でも理解することのできるキャラに確立することができるのが、「いじり」といえるのではないでしょうか。
いじめとは何か?
続いてはいじめについて考えていきます。
意外といじめとは何かを説明できない人も多いのではないでしょうか。
自分より弱い立場の人への苦痛を与える
いじめとは「自分より弱い立場の人への苦痛を与える」ということです。
先輩から後輩へのいじめや上司から部下へのいじめが一番理解しやすいかもしれません。
しかし学校でも同級生のいじめが発生することもあります。
これは同級生であっても立場の上下関係を作り出すことで苦痛を与えることはいじめといえます。
クラスで目立っているグループが陰キャラグループの人へいじめをするということが一番イメージしやすいかもしれません。
後でも紹介しますが、いじめは相手に苦痛を与える行為のことをいいます。
立場がどうのこうのよりも苦痛を与えているかどうかが重要なポイントになります。
意図的に苦痛を与えること
2つ目は、「意図的に苦痛を与えること」です。
いじめは意図的ではないこともあるのではないかと思う人もいるでしょう。
確かにいじめている側はいじめているという意識がないこともあります。
しかしなぜ相手に苦痛を与えるような行動をするのでしょうか?
もし相手に苦痛を与えているという想像さえできていないのかもしれません。
そうなってくるとそのいじめている人には違う問題があるので、ここでは言及しません。
一般的にいじめは意図的に相手に苦痛を与えている行為と定義されます。
なので大勢が1人をいじめるという構図だけではないというを理解しましょう。
肉体的な苦痛だけでなく精神的苦痛も含まれる
最後は「肉体的な苦痛だけでなく精神的苦痛も含まれる」ということです。
肉体的な苦痛とは殴る蹴るのような暴力のことをいいます。
精神的苦痛とは精神的に追い詰める、簡単にいえば鬱病などの疾患を発生させてしまう苦痛といえます。
精神的苦痛といえば、社会人はすぐにハラスメントを想像するのではないでしょうか?
ハラスメントもいじめと同じと考えていいでしょう。
特に大人になると暴力はいけないとわかっているので、精神的な苦痛を与えるようになります。
それは精神的苦痛は表面上に苦痛が表れにくいからです。
昔はいじめといえば、大勢で暴力を振るうみたいなイメージでしたが、
今は精神的苦痛を与えることも多くなっているので、精神的苦痛も含まれると定義されるようになりました。
いじりといじめに違いはあるのか?
いじりとじめの意味がなんとなくわかったところで2つに違いがあるのかについて紹介していきます。
受け取る側によって変わってしまう
いじりといじめの違いは「受け取る側によって変わってしまう」ということです。
ということはいじりといじめの行動自体に違いはないと定義付けすることができるのではないでしょうか。
こっちはいじりのつもりでやっていた行動も、受け手がいじめと感じればいじめになってしまうということです。
よくいじられキャラはいじられすぎて怒るみたいなことを経験したことがある人もいるでしょう。
もしいじられることが不快や苦痛というマイナスの要素がないのであれば、怒るという感情は起き得ないでしょう。
しかしいじられキャラが怒るということは何かしらの苦痛を抱えているということになるのではないでしょうか。
もし周囲にいじられキャラはがいる人、
またはいじっている人はいつ受け手がいじめだと認識するかわからないということを理解したほうがいいでしょう。
いじりであっても大きいストレスを抱える可能性がある
2つ目は「いじりであっても大きいストレスを抱える可能性がある」ということです。
簡単にいってしまえば、いじめといじりをしている人の行動は変わらないということです。
いじりは基本的にコミュニケーションや笑いを取るために行っていることでしょう。
しかし行っている行動は、いじめも何も変わらないことが多いでしょう。
そうなるといじりであっても受け取る側は、大きいストレスを抱えてしまう可能性があります。
ストレスと書きましたが、ストレスによって精神的な疾患に罹ったり、最悪の場合命を自ら落とすと
いったことにつながるかもしれません。
いじりでその場で笑いを取れてよかったと思っていても、
知らず知らずのうちにいじられている側に大きなストレスを抱えさせていることを忘れてはいけないでしょう。
いじりからいじめにつながる
最後は「いじりからいじめにつながる」という事実があるということです。
例えばいじられキャラはクラスにいて、いつもいじられることで、クラスでは笑いが起き、
とても賑やかでクラスでした。
しかしいじられる側はいじりに対して、いい気分ではなく、
いじられることに対して、反発してしまいました。
いじっていた側は、楽しいためにやっていただけなのになぜそんなに反発を受けなきゃならないのか
理解できず、反発を受けたことから、いじりではなくいじめになってしまうというケースです。
これが一番いじりからいじめにつながる理解しやすいイメージかなと思います。
あとはいじりの内容がエスカレートしていじめにつながるケースもあります。
いじりといじめは明確に分けることはできないものの、つながりがあるということは理解しておくべきでしょう。
受け取る側によって「いじり」か「いじめ」かは変わってしまう!
いじりといじめに違いはなく、受け取る側によって、変わるということが理解できたでしょうか。
もし誰かをいじりでいつも笑いを取っている人は気が付かないうちにいじめをしているかもしれないということです。
いじりもいじめも受け取る側にはストレスとなる行為に変わりはありません。
テレビでお笑い芸人はいじりで笑いを取るのは、それは仕事だからです。
仕事でいじりという行為を行っているので、簡単に言えば、そこにきっと感情はないでしょう。
テレビやYouTubeで見ている世界を自分の生きている世界でも反映させようとすることは
間違いかもしれないことを理解しましょう。