心理

なんでも自己責任!?人のせいにできない思考について

みなさんはなんとなく自分の選択や判断はすべて自己責任と感じていませんか?

自己責任で考えるべきという世の中の流れ、人のせいにしてはいけない流れを感じませんか?

今回は自己責任という思考とこれからどういう考えで生きるべきかについて紹介します。

ほとんどの原因は思考の癖

結論からいってしまうと、なんとなく生きづらさを感じる原因は「思考の癖」によることがほとんどです。

そしてその思考の癖で多いのが、

何もかも自分の責任でうまくいかないと自分を責め続けているということです。

あまり気にしていない人のほうが多いかもですが、

みなさんには生きてきてから必ず思考の癖というものが身についてしまいます

思考の癖は自分の行動に対して軸となるものなので、

判断を楽にするというメリットはありますが、

その癖が自分を苦しめるような場合は自分にとってデメリットでしかありません。

今回なんとなく生きづらさを感じる人は、

すべて自分の責任

最近の言葉でいうと、「自己責任論」的な思考の癖の人が多いようです。

すべて自分の責任と考えるとどうなるか?

いいことも悪いこともすべて自分のおかけであり、自分のせいであると考えるとどうなるでしょうか?

そもそも自分にかかわるものはすべて自分の責任であると教えられてきた人も多いのではないでしょうか?

すべて何事も自分の責任であると本当に思いますか?

例えばあなたが治療法がまだ解明されていない難病になってしまったときにそれは自分の責任でしょうか?

客観的にみれば病気を患うことは自分のせいではないことも多いのではないでしょうか?

すべてを自分の責任であると感じながら生きるとなんだかつらそうだなと感じませんか?

すべて自分の責任

いわゆる自己責任論では自分を結果として追い詰めてしまう可能性があります。

世の中にはどうしようもないこともある

今自分を置かれている環境や立場、状況はすべて100%自分の責任でしょうか?

すべて白と黒で区別することができるでしょうか?

「そんなことないよな」と思っていても、意外と理解できていない人はたくさんいます。

すべて何事も自分に責任があると思っている人は、

逆にいえば何事も自分の努力で変えられると思っています。

しかし世の中にはどうすることもできないことがあります。

親も上司も自分では選べないのも同じです。

生まれる場所も自分ではどうすることもできないのです。

自分の努力次第で、何事も変えることができるのだと信じている人ほど危険です。

なぜなら人は必ず挫折を経験せずには生きることはできないからです。

その挫折の大きさなどによってうつ病になってしまう可能性もあります。

休んだり立ち止まることも重要

もし一生懸命働いたり、勉強している自分がかっこいいと思っているのなら、

一度立ち止まるといいかもしれません。

何かに没頭しているときは、

その没頭しているものしか見ることができません。

しかし立ち止まると、なんだか周囲が視界に入ってきます。

そのときに自分の顔を見てみてください。

もし疲れているのなら休んでください。

自己責任論で突っ走ると自分を見つめる時間さえ取らないことが多いでしょう。

自分が疲れているのかどうかさえもわからない状況なのです。

一度走ることをやめて立ち止まって見ると、

いつもの自分ではないことに気づくかもしれません。

立ち止まることが怖い人へ

自己責任論を持っている人は

とにかく立ち止まってはいけないと思っている人が多いのではないでしょうか?

きっと立ち止まることが怖いからではないでしょうか?

努力しつづけないと思っているからではないでしょうか?

まず考えてほしいことは、自分が資本であるということです。

簡単にいえば健康で元気に日々暮らせなければ、

努力しても意味ないですし、そもそも努力できなくなるかもしれません。

どんなアスリートでも休みます。

リフレッシュする時間を取ります。

それは長時間練習するとケガの恐れなどがあるからです。

しかし社会人の仕事や受験勉強だとなんとなく休むということが悪

という認識になってしまいます。

休むことも努力であり、技術であることを認識してください。

そして努力していく過程で必ず休むということを入れてください。

今あなたは私の言っていることが理解できないかもしれません。

なぜなら自己責任論の中でうまくいっているからです。

自己責任論では必ずうまくいかないことがあります。

それは世の中どうしようもないことがあるからです。

うまくいかなくなったときにいったん立ち止まり

自分を見つめ返すと人生少しは生きやすくなるのではないでしょうか。

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