心理

なぜ日本人は遅刻に厳しいのか!?その意外な理由について

あなたは遅刻する人をどう思いますか?

みなさんは遅刻をしたことがありますか?

あなたは遅刻をした人を許せますか?

なんだか日本人は時間に厳しすぎないかと感じたことはありませんか?

たった5分の遅刻で戦犯扱いになるような経験をした人もいるのではないでしょうか?

まずは日本における遅刻に対する一般的な捉え方について解説していきます。

社会人として「遅刻」はあるまじき行為

学生の頃は遅刻をしても、学校の先生から怒られるぐらいでそこまでの厳罰を受けることはなかったでしょう。

しかし社会人になると1分朝礼に遅刻するだけで、「そんなに怒る?」というぐらい怒られたり、

最悪の場合は減給処分を食らうようなこともあるでしょう。

私も前日に飲みすぎて、朝礼に1分間に合わずに出社したことがあります。

その当時の部長からは「即刻帰れ」と怒られたため、二日酔いだったこともあり、素直に帰りました。

たったの1分です。その1分の遅刻によって会社として損害を被ることはないでしょう。

しかし社会人として遅刻は絶対にしてはいけない行為と決められ、それを守れない人間は社会人失格の烙印を押されるのです。

これは日本の企業における一般的な考え方でしょう。

ルールを守ることに日本人はうるさい

日本人はとにかくルールにうるさいなと感じます。

その原因は明確です。自分が守っているルールを逸脱する人間を許せないのです。

「なぜ自分は守っているのに、あの人は守らないのか?ルールを守ってもらうよう指導しよう」

となるわけです。

個人的にこの考え方は秩序を守るためにルールに沿った生き方をした方が楽という人が多いからだと思っています

ルールのない自由な世界を求めているようで、本当にルールのない自由な世界で生きる術がないのが日本人ではないでしょうか?

日本人が遅刻に厳しい理由とは!?

ではここからは日本人がなぜ遅刻に厳しいのか。その理由について紹介していきます。

ポイントとなるのは、幼い頃からの教育と日本人として大切にしている「平等性」です。

詳しく見ていくことにしましょう。

子どもの頃からの「5分前行動」が身に付いている

子ども頃によく修学旅行などで言われる「5分前行動」を覚えていますか?

私は小学生の頃からチームスポーツをしていたので、合宿などでよく5分前行動、

簡単に言えば、「5分前に集合しているようにしておきましょう。」ということを教えられ、実行してきました。

学校などの集団で行動する場合には、集合時間よりも前に集まることを求めらる経験を誰もがしているでしょう。

ほとんどその理由は周囲に迷惑をかけないようにするというものです。

遅刻は周囲に迷惑をかける行為であるということを幼い頃から教え込まれ、

社会人になったときにはその遅刻というものは人生で最もクローズアップされるのです。

幼い頃から「遅刻は悪」、「遅刻は周囲に迷惑をかける最悪の行為」というように刷り込まれているのです。 

全員と同じ行動をすべきと考えるから

日本人が遅刻に厳しい理由は「全員と同じ行動をすべきと考える人が多い」ということです。

ここでは「平等」という言葉がキーワードになるでしょう。

例えば、毎日30分ぐらい遅刻するが、優秀な人材と、遅刻は一切しないが、平凡な人材であればあなたはどちらを採用したいと思いますか?

成果という観点では遅刻は許容して優秀な人材を採用しようと思うかもしれませんが、

ほとんどの会社は遅刻をしない平凡な社員を採用するでしょう。

なぜなら遅刻を許容することは会社や組織のおける平等性が損なわれてしまうからです。

優秀な人の遅刻を許容することになれば、組織のモチベーションの低下や秩序が壊れてしまうことを懸念することとなります。

日本の企業は成果を出すことにフォーカスするのではなく、平等な組織運営をとても大切にすることが多いのです。

全員が同じルールを守ることで上手に組織を保っているともいえるのです。

時間を守るぐらいしか誇れるものがないから

最後は「時間を守るぐらいしか誇れるものがない」という理由です。

会社で仕事をすることは成果を上げることが最も誇れることでしょう。

しかし誰もが優秀な成績を残せるわけではありません。

優秀な成績を残せないとしても、生活のために会社に残り続けなければなりません。

仕事で成果を出せない人間は「真面目さ」をアピールするしかないのです。

その最も簡単にアピールできることは「遅刻をしない」ということなのです。

なぜ遅刻や休まないことが誇れることと思ってしまうのかは、「皆勤賞」というもの存在しているからでしょう。

毎日真面目に遅刻もせず会社に来て働いているという姿しか見せることのできない人がいることが遅刻を許されない世界を作り出しているともいえるのです。

時間には寛容であったほうがいい理由について

最後は時間には寛容であったほうが理由について紹介します。

個人的には遅刻なんてどうでもいいと思いますが、人によっては遅刻というものに対しての考え方は違います。

しかしながら時間には寛容であったほうが生きやすいということは明確になっています。

では詳しくみていきましょう。

遅刻は誰にでも起こりうる

まず「遅刻は誰にでも起こりうる」ということを理解しましょう。

どんな遅刻でも許さないような人間に聞きたいのは、「あなたは絶対に遅刻しないとなぜ言えるのか?

ということです。

どんなに対策をしても交通状況や天気や災害によって遅刻する可能性は誰にでもあります。

ほとんどの人は遅刻をしようと思って遅刻する人間はいないでしょう。

ということはしたくもない遅刻をしてしまった人間を追い詰める必要性がどこにあるのでしょうか?

金メダルを目指して努力した結果本番で失敗した選手に「なぜ失敗したのか?」と問い詰めることと

遅刻した人間に「なぜ遅刻したのか?」と聞くことは同じではないでしょうか?

遅刻をしないための努力がそもそも無駄

2つ目は「遅刻をしないための努力がそもそも無駄」ということです。

遅刻をしないために、家に何個も目覚まし時計を置いたり、集合時間の何時間も前に着けるようにするという人もいるでしょう。

確かに受験であったり、絶対に遅刻できない場面においては遅刻をしない対策をすることになるでしょう。

しかし毎日の出社など日常生活の中に絶対に遅刻をしないような行動をすることは本当に必要でしょうか?

遅刻をしないために自分の大切な時間を使うことが本当にもったいないと思います。

普通に生活して遅刻をしないように移動を考えれば、2時間や3時間の遅刻になることはないでしょう。

遅刻というそこまで大切ではないものに対して、自分の時間やお金を使うことがどこまで重要かをしっかり考えるべきでしょう。

優しさを持っているように思われる

最後は時間に寛容な人間になると「優しさを持っているように思われる」ということです。

会社に遅刻すると上司に怒られると思って会社に入ってきます。

しかし上司は怒ることはせず、心配をしてくれたらどう思いますか?

きっとこの上司は優しい人間だと思うことでしょう。心の広い上司だなと思うことでしょう。

遅刻や時間というものに少し寛容になるだけで、人よりも優しいということを見せることができるのです。

時間に寛容になると優しい人間だと思われるというメリットがあるのです。

遅刻ぐらい許せるほうが社会人としては大人では!?

いかがでしたか?遅刻を許せない人間は小さい人間だなと感じませんか?

遅刻って誰しもやらかしてしまう可能性のあるものです。

いい大人が遅刻をすること自体が悪いのではなく、いい大人が遅刻ごときを許せないほうが悪いと思うべきでしょう。

社会人としてしっかりと仕事をするのであれば、遅刻を許すことも大切だと思います。

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